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<title>book-read</title>
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<description>ＢＯＯＫ－ＲＥＡＤ読んだ本読んだＢＯＯＫ－ＲＥＡＤ読んだ本読んだＢＯＯＫ－ＲＥＡＤ
　　　　　　　　　　　　　               　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
読んだ本（主に新書や文庫などの一般書、例外あり）の個人的な感想を書いています</description>
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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/2008520-3444.html">
<title>町田健『言語世界地図』新潮新書（2008.5.20初版発行）</title>
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<description>　「本書は、私自身も含めて読者の皆さんにも、世界における言語使用の真実を分かって...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/01/04/dsc07573.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc07573&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc07573&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2010/01/04/dsc07573.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　「本書は、私自身も含めて読者の皆さんにも、世界における言語使用の真実を分かっていただくために書いたもの」（「はしがき」7頁）&lt;br /&gt;　「世界の言語状況に関する知識は、世界情勢の正しい理解に大いに役立つものなのです。本書が、その意味で役立つ知識を提供していれば、望外の幸せです。」（「終わりに」215頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　４６種類の言語と取り上げ、「使われている地域、話者数、独自の民俗文化」やその言語の簡単な歴史や言語的特徴などを、一言語４頁にコンパクトに分かりやすく、まとめている。&lt;br /&gt;　１日１言語ずつ読んでいった。&lt;br /&gt;　　&lt;br /&gt;　楽しく、手軽に、世界の言語について知ることができる本である。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;メモ書き&lt;br /&gt;○「本書の「英語」の項でも説明するように、英語という言語は、どちらかと言えば世界の諸言語の中でも、珍しい特徴を備えた、言わば「異端」の言語なのです。」（「はしがき」6頁）&lt;br /&gt;○「英語の特徴の一つに、フランス語起源の外来語が非常に多いことがある。」（195頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;◎「チベット語の特徴としては、日本語と同じように敬語が発達していることがあげられる。尊敬語と謙譲語の区別がある他にも、たとえば日本語で「見る」「髪」の尊敬語が、「ご覧になる」「おぐし」のような全く違った語形になるのと同じように、チベット語でも敬語の語形が非敬語の語形とは全然違うのが普通である。」（127頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/20091030-8e87.html">
<title>坂井克之『脳科学の真実―脳研究者は何を考えているか』河出書房新社（河出ブックス）（2009.10.30初版発行）</title>
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<description>　「脳トレ」や「ゲーム脳」などの「「お茶の間科学」が「現場の脳研究」とどのように...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/12/28/dsc00149.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc00149&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc00149&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/12/28/dsc00149.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　「脳トレ」や「ゲーム脳」などの「「お茶の間科学」が「現場の脳研究」とどのように違い、どこが間違っているかを指摘」（15頁）するだけでなく、「主眼は、どうしてこの「お茶の間脳科学」がブームを引き起こすほどの説得力をもつのかについての考察」（15頁）にあるとのこと。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　第三章以下が特に興味深い。&lt;br /&gt;　「脳画像」のトリック或は狡さを明かしてくれている。&lt;br /&gt;　「色つきの図を見ると脳のどの部分が有意な活動を示しているのかがよくわかります。ここでいう「強い脳活動」とはその活動の絶対値が大きいことではなく、統計的により確からしいということを示しているのです。」（121頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　つまり、濃い色の部位の活動の絶対値が大きいのではなくて、「0.1％基準」「1％基準」「5％基準」などの有意さの水準が高いということである。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「おい、おい。人を騙すような図を書くなよ。」と思わず言いたくなった。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　さらに「被験者を増やすといくらでも統計的な差は検出できるようになります。」とのこと。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　さらに、「一般の人々の目にふれる、そして論文の実験結果として提示される脳画像は、決して生のデータではありません。加工され、おいしいところだけをきれいに切り取った一つの図に過ぎないのです。」（127頁）とのことだ。&lt;br /&gt;　たしかに、こうしたことはどの分野でも多少なりとも行われてはいるのだろうが……。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「もっとひどい場合には、実験結果を見てから、「そうそう、僕は脳のこの部分が活動するんじゃないかな、って思っていたんだよ」と言い、関係のある文献を探し出してきて、あたかも実験を行う前からその脳領域を狙っていたかのような文章を論文の冒頭に入れてしまうことだってできてしまいます。これを「なんちゃって仮説」といいます。」（134頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ただし、「このような脳画像の操作の実情を書くと、信用がなくなってしまいそうですね。でも研究者の側から言わせると、嘘であるとか不正を行っているわけではありません。有意な活動が見られたという表現は正しいのです。ただしこれがどれだけの意味をもつのかについては解釈の問題になってしまいます。」（136頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　脳科学の分野に限らず、一般の人向け（一般受けする）の科学（的説明・言説）と実際の研究とのズレ・乖離についても、考えさせられることが書かれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●「社会にとっての有益さは、科学としての有益さとは違い、きわめて多次元なものです。情報がたとえ正しくなくても、結果として金銭的な利益につながる、大衆を操作できる、名声を得ることができれば社会的には有益なものと考えられます。またこの正しくない情報の受け手である一般の人々にとっても、結果として記事を楽しみ、夢と希望を与えられ、日常生活が生き生きとしたものになるならば有益だといえます。正しくない情報にもとづく幸福は虚偽だというのが研究者の主張ですが、大多数の人の賛意はなかなか得られません。」（86頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;●「実は実際の脳研究に携わっている研究者の多くは、単純明快意味不明な「お茶の間脳科学」は、そもそも脳科学ではないと思っているのです。こんなおかしな話は脳科学ではないのだから、あえて自分たちが発言をする必要はない。放っておこう。それよりももっと大事な「本当の脳科学」の研究を急がなければならない、というわけです。」（161頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;●（実際の脳科学研究に従事している）「研究者ですら、社会に対して「わかりやすい」情報発信を繰り返すうちに、行き過ぎた解釈や限られた実験室の状況から日常生活へ飛躍した話をするようになってしまいます。ここでは科学研究の成果をわかりやすく伝えているのではなく、学術論文を書く際とは全く異なった基準で社会への情報発信を行うようになっているわけです。どうして研究者がこのようなダブルスタンダードを使い分けるようになってしまったのでしょうか。研究者を取り巻く環境と研究者自身の心に存在する要因を考えみましょう。」（167頁）&lt;br /&gt;　インパクトファクターのより強い研究雑誌の論文を掲載するため&lt;br /&gt;　そのために研究費を獲得するため&lt;br /&gt;　研究費を獲得するために、研究の有益さ・実用性の高さ・社会的価値を訴えるため&lt;br /&gt;　研究成果の情報発信が要求されているため&lt;br /&gt;　……&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;●「では、脳研究の業界は、このような一般書レベルにおける脳科学風造語を排斥するように動いているのでしょうか。本屋や広告で「○○脳」というタイトルを見かけるたびに冷笑を浮かべる研究者は多いのですが、公に批判することはありません。これは脳研究の業界ではなく、出版業界やマスメディアで起こっている出来事なのですから。このことに関しては納得できる部分もあるのですが、実際には脳研究業界がこのような脳科学ブームにこっそりと便乗してしまっていることはないでしょうか。&lt;br /&gt;　　そもそも科学研究は国民の税金を使って行われる場合が多いわけですから、とくに政策主導型の研究プロジェクトの場合、一般の関心、国民のニーズをある程度意識したものになる場合もあります。また、国民のニーズにこたえる形で研究を始めたわけではないけれども、たまたま自分自身の研究テーマがこと一致していた場合には、効果的に利用します。」（192頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;メモ書き。&lt;br /&gt;○「現代社会の余裕のない状態におかれた人々は「考える」ことよりも「信じる」ことを選ぶものなのです（池内了氏より拝借）。」（51頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○ミギノウ、ヒダリノウ：「巷では右脳と左脳と書いて、ウノウとサノウと呼ぶそうですが、脳の研究者は決してこのような妙な読み方はしません。普通にミギノウとヒダリノウ、より正確には右大脳半球と左大脳半球といいます。」（156頁）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○「神経神話」（189頁）：「子供の発達は三歳までに決まる」「豊かな環境は脳の学習効果を高める」「私たちは脳の一〇％しか使っていない」などといった脳に関する神話」（189頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/from-left-to-ri.html">
<title>水村美笛『私小説　from left to right』ちくま文庫（2009.03.10初版発行）</title>
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<description>　1992年から1994年にかけて『批評空間』に連載され、1995年に新潮社より...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/12/14/dsc07884.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc07884&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc07884&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/12/14/dsc07884.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　1992年から1994年にかけて『批評空間』に連載され、1995年に新潮社より単行本として、また1998年に新潮文庫の中の一冊として刊行されたもの。（462頁の次の頁より）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「「美苗」は１２歳で渡米し滞在２０年目を迎えた大学院生。アメリカに溶け込めず、漱石や一葉など日本近代文学を読み耽りつつ育ったが、現代の日本にも違和感を覚え帰国をためらい続けてきた。雪のある日、ニューヨークの片隅で生きる彫刻家の姉と、英語・日本語まじりの長電話が始まる。異国に生きる姉妹の孤独を通じて浮き彫りになるものとは…。本邦初、横書きｂｉｌｉｎｇｕａｌ小説の試み。」（裏表紙の紹介文より）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　タイトルの「from left to right」というのは、日本語を横書きした際に、左から右に文字が並ぶということだろうか？&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　姉妹の電話の会話の途中途中に、「私」（＝登場人物の「美苗」）の語りが差し挟まれ、主に渡米以後のさまざまなエピソードが語られている。&lt;br /&gt;　タイトルの「私小説」はこのことであろう。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　電話の会話が「英語」と「日本語」交じりで、それをそのまま英語と日本語で書いている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　80頁くらいまでじっくり読んで、あとはぱらぱら。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　改行箇所が、すべて２字下げになっている。&lt;br /&gt;　英文の部分も、段落冒頭は（全角）２字下げである。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「夜の十一時」（66頁）、「八枚」（387頁）のように、横書きだから算用数字でも良さそうなところで漢数字が使われている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;●「主には」：「「殿」の置いていった本もあれば他の日本の学生が置いていった本もあるが、主には母が家を処分した時に引き取った本と重なってしまった分である。」（24頁）&lt;br /&gt;●「やまる」：「私が例の夢を見るのは、それでやまったわけではなかった。」（63頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/75620081210-c22.html">
<title>円満字二郎『漢和辞典に訊け！』筑摩書房（ちくま新書756）、2008年12月10日初版発行</title>
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<description>　「漢和辞典を主人公にした本」（215頁） 　 　著者は、漢和辞典の編集者を以前...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/30/dsc07760.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc07760&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc07760&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/30/dsc07760.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　「漢和辞典を主人公にした本」（215頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　著者は、漢和辞典の編集者を以前していたとのこと。&lt;br /&gt;　漢和辞典に親しめ役立ててもらえるよう、その面白さや有用さを、漢字の読み方（音と訓）、形（字体、異体字など）、成り立ち（意味など）の面から分かりやすく書いている。さらに、漢和辞典の検索方法やその問題点、また現在入手可能な漢和辞典の簡潔な紹介なども含まれている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　漢和辞典によって、旧字体の認定、画数、成り立ち、部首などに違いがあることやその原因についても分かりやすく書かれている。&lt;br /&gt;　また、漢和辞典の目的（「古い時代の中国語を日本語に翻訳するための辞典」（192頁）なのか、現代日本語で使われている漢字語を調べる辞典なのかなど）によって特徴が出るということも一般には余り知られていないのではないだろうか？　（「鉄道」「試験」「恋愛」「手術」「学校」「会議」など「日本で生まれた熟語や、近代になってから造り出された述語」（192頁）が載っていないこともある。）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　確かに、漢和辞典の楽しさ・有用さは分かったが、現在では漢和辞典を読むように引く人はやはり相当マニアな人ではなかろうか？&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;メモ書き&lt;br /&gt;○「きっちり数えたわけではないが、ぼくの経験からすると、どんな漢和辞典であれ、音訓索引で収録字数が多い読み方のランキングをとると、たいてい「コウ」がダントツで一位のようだ。入門者向けのものでも二〇〇～三〇〇、本格的なものになると五〇〇を超える漢字が、音訓索引の「コウ」のところにズラリと並ぶ。」（30頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○音訓索引には「本文で音読みとして認めたもの」をすべて挙げているのではなく「一般性が低いものを割愛」して掲載している。（38-39頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○「常用漢字や人名用漢字に含まれる漢字のうち、どの漢字にどのような旧字体を示すか。その判断には、漢和辞典によって違いがある。（中略）常用漢字一九四五文字をとってみても、旧字体が示されている漢字の数は、少ない漢和辞典だと六五〇くらいだが、多い漢和辞典だと八〇〇を超えるほどに、幅があるのだ。&lt;br /&gt;　　この事実は、当用漢字が制定されて漢字の字体が政府によって決められるより以前には、漢字の字体には微妙な揺れがあった、ということを意味している。逆にいうと、当用漢字が制定されるまでは、オフィシャルに影響力を持つ形で、漢字の字体について定められたものは、存在しなかった。&lt;br /&gt;　　ぼくたちは、旧字体というとなにか昔から定まっている「正しい漢字」であるかのように思ってしまいがちである。しかし、現実はそう単純ではない。むしろ、政府が決めてくれて揺るぎがないという意味では、新字体の方が「正しい漢字」に近いかもしれないのである。」（98-99頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○「ぼくたちは、「正しい漢字」というものがあるのだと、無意識のうちに思い込んでいないだろうか。漢字には長い伝統があって、それにのっとった「正しい漢字」というものがあるのだ、と。しかし、新字体と呼ばれる漢字よりも「正しい」と思われがちな旧字体だって、字形には揺れがあって、なかなか安定しない。」（123頁）（「孤」「政」など）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○（明朝体の）「しばしば問題となるのが、「分」の二画目や「史」の最終画に見られるような、右払いの最初にしばしば現れるヒゲのような部分である。（中略）漢和辞典の世界では、かなり以前から、ヒゲなし明朝体を採用しているのが主流である。」（116頁）図&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○「衷」は「意符「衣」と音符「中」とから成る形声文字」であり「字形の上でも「衣」と「中」に分解できなければならない」ので、「手書きの場合には、「〓」と「中」に切り離して書くべきだ、ということになる。」（156頁）（「〓」はなべぶた）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○「ある漢字がどの部首に属するかは、漢和辞典によって異なるのだ。」（171頁）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20090210-486c.html">
<title>中野三敏『和本の海へ―豊饒の江戸文化』角川選書（角川学芸出版）（2009.02.10初版発行）</title>
<link>http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20090210-486c.html</link>
<description>　江戸時代の「和本」を単なる趣味的に紹介している本ではない。 　 　「まえがき」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/09/dsc08381.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc08381&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc08381&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/09/dsc08381.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　江戸時代の「和本」を単なる趣味的に紹介している本ではない。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「まえがき」にあたる「和本の海へ」の章に、本書の意図が明確に記されている。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「和本リテラシーそのものを回復」させるためには「何は扨置き、和本の持つ面白さや豊かさに目を向ける、ほんの一寸した興味を持つことが何よりも重大なのである。本書編纂の企てはまさにその点にある。」（14頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「和本リテラシー」というのは、活字化されていない（変体がなと草書体漢字で書かれた）和本の読解力であり、「江戸人の想念と情念の凡てを理解し感得しようとする能力の練磨」（7頁）である。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　では、なぜ「和本リテラシー」が必要なのか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　平成に入り「戦後の近代主義的江戸理解を排したうえでの、江戸に即した江戸理解の必要性に漸く目覚めた」（12頁）のであり「江戸は近代とは違うという事、その違いを見定めた上で、近代が見落としてきたものを活かして行く所に本当の近代の成熟がある、ということに初めて気がついた」（12頁）からである。&lt;br /&gt;　そして「江戸に即した江戸理解の為の最も基本的な手段は江戸文化のインフラそのものである“和本”に通じることしか、まずはあり得ない。」（12頁）からである。&lt;br /&gt;　しかし、活字化された和本は「一％ほど」もなく、今後の活字化を待つよりも「和本リテラシーそのものを回復するに越したことはない。」（14頁）ということである。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ということだが、拾い読み。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ちなみに、&lt;br /&gt;　「江戸の武士から庶民まで、時代を彩った多彩な生活の場面を、人々の愛用した和本から読み解く。和本のうち、活字になっているものは文学を中心にして１パーセント足らずであり、活字にならなかった多くの本にこそ、江戸に暮らした人々の生活が見えてくる。江戸文化の様々な局面を、動物、賭博、易占、言葉遊び、印譜、春本、武家作法などに関する和本から照射する。豊かな文化を見つめ直すための格好の案内書。」（裏表紙の紹介文より）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　主に「彷書月刊」誌に連載した「和本入門」を基に補記・訂正を施し、書き下ろしも加えてもの。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;メモ書き。&lt;br /&gt;●（「学知の基本を西洋の学に置く」（9頁））「そのような明治以来の学問の世界で、唯一、自前で、西洋の学問と相拮抗するだけの成果を示し得ていたのは、契沖・宣長以来の実証主義的な伝統に支えられた国文・国史の学であった。」（10頁）&lt;br /&gt;●「持ったが病」（15頁）：なまじ（金や子供を）持ったために苦労や悩みが生じること。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:date>2009-11-09T09:15:30+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/20061120b-1535-.html">
<title>ウイリアム・ブロード　ニコラス・ウェイド著　牧野賢治訳『背信の科学者たち　論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか』講談社（2006.11.20発行）（ブルーバックス　B-1535)</title>
<link>http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/20061120b-1535-.html</link>
<description>　日本における近年の、大学や研究機関での不祥事の多発を浮けて、旧版（化学同人刊、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/10/19/dsc00070.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc00070&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc00070&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/10/19/dsc00070.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　日本における近年の、大学や研究機関での不祥事の多発を浮けて、旧版（化学同人刊、1988年）を「読みやすい「ブルーバックス版」として形を改めて再出版」（「訳者序文」5頁）したものだそうだ。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　原書は、次の通り。&lt;br /&gt;　William Broad and Nicholas Wade, 1982, &amp;quot;Betrayers of the Truth: Fraud and Deceit in the Halls of Science&amp;quot; &lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「科学者は合理的な考えだけで基づくものでもなく、また、合理的な考えは科学者だけがもっているものでもない」（12頁）ということが主張の中心である。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「ミスコンダクト問題を追っていると、そもそも科学者とは何者か、という根源的な疑問に突き当たらざるをえない。そしてその答えは、「科学者は、人間としては特別な存在ではない」という当たり前の結論に行きつく。科学者はときに、魔術師であり、手品師であり、万能の力をもっているかのごとくに振る舞うが、実際はそうではない。その力は限られており、人間としても普通の弱い存在である。」（「訳者あとがき」345頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　データ捏造や改ざん、他人の研究や論文の盗用などの「ミスコンダクト」は、近年に始まったことではなく、プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、メンデルなども行っており、「データへのあいまいな態度は、西洋の実験科学において最初から存在していた」（43-44頁）という。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「虚偽はわれわれが考えるよりはるかに多いものであることを歴史が示している。データを改良することで、他人に対して、より説得力を持たせようとした科学者たちは、自分自身に対しては、心理を広めるために行ったのだと自分自身を偽っていたに違いない。しかし、科学研究におけるこれまでのさまざまな偽りの真の動機は、個人的な野心とその追求、およびダーウィンが指摘する“安物の名誉”の追求から生じたものがほとんどであり、真理への関心から生じたものはずっと少ないように思われる。」（56-57頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「科学の客観性」について次のような記述がある。&lt;br /&gt;　「科学者はその時代の社会一般の定説を信じ、それを“科学的”に、つまり、客観的な実験という科学的方法によって証明しようとはするが、現実には、データを調べている間に、最初の仮説を支持するデータを無意識に選んでいることが多いのである。そして、仮説は実証されたものとして、公表されるのである。その論拠は常にデータから結論へのまっすぐな線のように示されるが、実際には、結論からその結論が導き出されたデータへ、そして再び結論へ戻るという循環過程をたどっているのである。」（272-273頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「科学的客観性」の無意味さの例として「知能指数（ＩＱ）」の「幻想」が挙げられている。&lt;br /&gt;　知能検査を考案したフランスのビネが設けた「三つの基本原則」が「アメリカの心理学者によって一貫して無視され、悪用された」（275頁）という。&lt;br /&gt;　「三つの基本原則」というのは次の三つだそうだ。&lt;br /&gt;　「ビネの原則①　得点は生まれつきのもの、あるいは永久的なものを何ら明確にするものではない。&lt;br /&gt;　　原則②　得点等級は学習障害のある子供を見極め、助けるための大まかな指針であり、普通の子供たちを測るものではない。&lt;br /&gt;　　原則③　低い得点は子供の知能が生まれつき劣っていることを意味しない。」（275頁）&lt;br /&gt;　　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　なぜ、「ミスコンダクト」を防げないのか。&lt;br /&gt;　「そもそも論文審査の主目的はミスコンダクトの発見ではない。ミスコンダクトはないとして、論文内容を評価するのである。」（「訳者解説」334頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;メモ&lt;br /&gt;○（研究）「雑誌急増の最大の理由は論文発表における本質的な変化、つまり、質より量重視の姿勢である。今日、科学者の多くは、また彼らが発表する論文のほとんどは二流以下であると言っても過言ではない。」（81頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○「引用文献の分析を行ったコールらは、科学論文の多くは引用文献として一度も引用されていないことをあげ、「私たちが報告したデータから、科学者の数を減らしても科学の進歩の速度は変わらないといいう暫定的な結論が導かれる」と書いている。」（83頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○「一般に、科学研究に大きな影響を与えている問題は科学論文の過剰生産ということである。あまりにも多くの科学論文が発表されすぎており、その大部分が価値のないものであり、科学の伝達システムを乱しているのである。つまり、優れた研究が目にとまるのを妨げ、偽りの研究が審査の目から免れるのを助けるのだ。」（310頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;○（量子力学の創始者であるドイツの物理学者マックス・プランク）「彼は有名な一節の中で、科学における古い考えは、それに固執する人びとと共に滅びると言明した。」（210頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

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<dc:date>2009-10-19T08:46:16+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/20090911-b81f.html">
<title>川村二郎『孤高　国語学者　大野晋の生涯』東京書籍（2009.09.11初版発行）</title>
<link>http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/20090911-b81f.html</link>
<description>　「これは、日本語と通して日本人とは何か、その研究に八十八年の生涯を捧げた国語学...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/09/28/dsc00026.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Dsc00026&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsc00026&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/09/28/dsc00026.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 　「これは、日本語と通して日本人とは何か、その研究に八十八年の生涯を捧げた国語学者、大野晋の物語である。」（「プロローグ　熱風」16頁）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　国語学者・大野晋（1919-2008）の「評伝」。&lt;br /&gt;　「日本語の好きな普通の人が読んでわかるように、先生のお人柄を中心に書い」（「あとがき」269頁）たもの。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「筆者にもう一つ、忘れられない最晩年の言葉がある。&lt;br /&gt;　　「学問というのはね、深めれば深めるほど、自分にわかることがいかに少ないかが、わかってくるものなのです」」（「エピローグ　遺言」268頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;メモ書き&lt;br /&gt;○「橋本について研鑽を積んだのは正味二年である。しかしこの間に橋本から学び、身に付けた研究手法は、生涯の財産といってよいものだった。&lt;br /&gt;　　簡単に書くと、それは次のような五段階になる。&lt;br /&gt;　　①単語の用例を可能な限り集める。&lt;br /&gt;　　②文脈から意味を細かく分けて分類する。&lt;br /&gt;　　③分類したものをグループにまとめる。&lt;br /&gt;　　④グループごとに共通する意味を抽出する。&lt;br /&gt;　　⑤類似の単語との差を見定める。」（106頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;●（『広辞苑』の「基礎語」の語釈に執筆に関して）「大野にとって、辞書の編纂に直接たずさわるのは、はじめてのことだった。しかし、約千語の語の意味と用法と用例を三カ月で書くことがいかに途方もないことかは、想像がついた。」（146頁）&lt;br /&gt;　「大野が思いついた方式とは、こういうものだった。学生たちに『大言海』『大日本国語辞典』『大辞典』『辞海』『明解古語辞典』の五種類の辞書から、基礎語九百六十語の解説と文例をすべて書き写してもらう。まだコピー機はなかったから、こうするしかなかったからだが、それを単語ごとに、一枚の大きな紙に貼ってゆく。&lt;br /&gt;　　それに目を通し、最も古い訳語と思われるものに①と番号を書き、古い順に②③④⑤と番号をつけてゆく。こうすることで、その語の意味の年代的な変化や、変化の脈絡がわかる。そこに『万葉集総索引』『源氏物語用語索引』『徒然草総索引』を使って上代、中古、中世と、年代順に適切な用例を書き加えてゆく。そのうえで室町末期に編纂された『日葡辞書』のフランス語訳、パジェスの『日仏辞書』やいくつかの現代の和英大辞典を使い、近世、現代の訳語と文例を書き足す。&lt;br /&gt;　　しかしこの方式には、欠かすことのできない条件が一つあった。条件とは、上代から近代までの各時代の古文をきちんと読むことのできる能力の持ち主が不可欠、ということである。幸運なことに、竹内美智子がいた。竹内は東大国文科の戦後第一回の卒業生で、能力の高さは大野も知っていた。協力を求めると、快諾してくれた。」（146-147頁）&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;●誤植？？&lt;br /&gt;「表紀」：「「お」と「を」の表紀の違い」（126頁）&lt;br /&gt;「超驚級台風」：「大野は生徒たちに超驚級台風のような印象を残した」（126頁）：「超弩級台風」の誤植？？&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

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<dc:date>2009-09-28T08:48:20+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/20071225-f4f4.html">
<title>佐久協『日本一愉快な国語授業』祥伝社新書（2007.12.25初版発行）</title>
<link>http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/20071225-f4f4.html</link>
<description>　タイトルに煽られ、次の「はじめに」「おわりに」の言葉に繰られ、とりあえず面白い...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/09/14/dsc08242.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Dsc08242&quot; title=&quot;Dsc08242&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/09/14/dsc08242.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;　タイトルに煽られ、次の「はじめに」「おわりに」の言葉に繰られ、とりあえず面白いネタがあればいいなと思い、買って読んでみた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「日本語全般に関してこれだけは知っておいてもらいたい知識や問題点を具体的な用例を挙げて解説し、日本語に興味を懐（いだ）かせることのできるコンパクトな冊子」（「はじめに」2頁）&lt;br /&gt;
　「最低限知っておいたもらいたい日本語の問題や面白さを伝えるという本書の主旨」（「おわりに」264頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「中・高校生から大人までが楽しめるように書いたつもりですが、私が一番念頭に置いたのは中・高等学校の教員です。本書の一部でも利用して、ぜひとも生徒に日本語の面白さを伝えて下さい。」（「はじめに」3頁）&lt;br /&gt;
　とあるが、「中・高校生」が読んで面白がる生徒がいれば、マニアに近いかもしれないなと思いながら読んだ。&lt;br /&gt;
　個人的には、「中・高校生」にはすすめたくないし、一般の人にもすすめたくないなと思いながら読んだ。&lt;br /&gt;
　また、何を「日本語の面白さ」と感じるかということは、人によって、大きく異なるのだなあと思いながら読んだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　大ざっぱに言えば、この本で取り上げられているのは、言葉遊びや単語単位の現象など、旧来の言葉好きの人たちが趣味で楽しんでいる類のものが多い――そう思いながら読んだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　しかし、「ある意味」とても興味深かった。&lt;br /&gt;
　なので、最後まで読めたのであろう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　できれば、参考文献も示したほしかった。例えば、次のような部分。&lt;br /&gt;
○「若者の平板ことばの原因としては、顔面筋（特に眼輪筋と咬筋）の衰えを指摘する研究者がいます。」（16頁）&lt;br /&gt;
　「最近の日本人は子供の頃から柔らかな物ばかり食べているから顎が細くなり平安時代の貴族の瓜実顔に近くなってきており、それが平板アクセントの原因だと指摘する研究者もいます。」（17頁）&lt;br /&gt;
○「平安時代に存在していて「し」（Shi）に取って代わられたスィ（Si）の音が、最近の若者によって復活しているといいます。これはアクセントの項で述べたように、現代の若者が子供の頃から柔らかい物ばかり食べて咀嚼筋が発達せず顎の形が平安時代の貴族のようになり、摩擦音が出せなくなったためだと説明されています。」（104-105頁）&lt;br /&gt;
○「日本語も奈良時代には八十七から八十八の音韻が区別されていて、それに対応する仮名があったとも言われています。」（99頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　たとえば、次のような箇所は、不思議に思った。&lt;br /&gt;
○「日本語の横書き表記に関しては、東京女子大学の屋名池教授が面白い説を唱えています。昔の日本の額や看板の右から左への横書きは、横書きではなく一字ずつの縦書きであるというのです。」（93頁）&lt;br /&gt;
　この人の説？&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「旧文部省は「原音におけるトゥやドゥの音はトやドと書く」と定めて」（106頁）&lt;br /&gt;
　文部省が定めた？？&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「「通り」は「とおり」か「とうり」かで迷った経験をお持ちの読者も少なくないでしょう。生徒も迷って教員室にやって来ますが、そんな時、大概の教員は文科省版の『現代かなづかいの要領』を引っ張り出して（下略）」（174頁）&lt;br /&gt;
　文科省版？&lt;br /&gt;
　『現代仮名遣い』ではなく、なぜ古い『現代かなづかいの要領』なのか？？？&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
●個人的にところどころ面白かった部分&lt;br /&gt;
○「知らぬが仏　→　死ぬから仏」（24頁）&lt;br /&gt;
○「ＳＨＩＮＢＵＮ」「これを外国人に示すと、彼らは発音するのに大変な苦労をします。」（102頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

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<dc:date>2009-09-14T08:42:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/one212009610-89.html">
<title>野中広務・辛淑玉『差別と日本人』角川書店（角川oneテーマ21）（2009.6.10初版発行）</title>
<link>http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/one212009610-89.html</link>
<description>　政治家の書いた本は、これまで殆ど読んだことがないが、この本は、書店でたまたま見...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/08/31/dsc08241.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Dsc08241&quot; title=&quot;Dsc08241&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/08/31/dsc08241.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;　政治家の書いた本は、これまで殆ど読んだことがないが、この本は、書店でたまたま見掛け、とりあえず読んでみようと思い、買った。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　野中広務と辛淑玉との対談である。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　読み始めると止まらず、一気に読み終えた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　対談ではあるが、とても読みやすいように整理されている。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「本書を通読することで、いまもまだ根強く残っている差別の実態が読者に伝わり、差別が少しでもなくなる方向に向かえばこんな嬉しいことはない。」（「あとがき　野中広務」197頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　裏表紙に書かれている文言を引用し、本書の概要を示す。&lt;br /&gt;
-------------------&lt;br /&gt;
　本書のテーマ　差別&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　差別の実態を知る者が&lt;br /&gt;
　明らかにする日本の真実&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　▼昭和という時代と差別&lt;br /&gt;
　▼自民党という不思議な政党&lt;br /&gt;
　▼関東大震災における虐殺&lt;br /&gt;
　▼部落差別は地域差別ではない&lt;br /&gt;
　▼野中広務と共産党・解放同盟&lt;br /&gt;
　▼麻生首相の暴言&lt;br /&gt;
--------------------&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
メモ書き&lt;br /&gt;
○「差別は、いわば暗黙の快楽なのだ。例えば、短絡した若者たちが野宿者を生きる価値のない社会の厄介者とみなし、力を合わせて残忍なやり方で襲撃する時、そこにはある種の享楽が働いているのだ。それは相手を劣ったものとして扱うことで自分を保つための装置でもあるから、不平等な社会では差別は横行する。そして、あたかも問題があるのは差別される側であるかのように人々の意識に根付き、蓄積されていく。&lt;br /&gt;
　時の権力は、権力に不満が集まらないようにするためには、ただ、差別を放置するだけでいい。そうすれば、いつまでも分断されたシモジモ同士の争いが続く。」（「まえがき　辛淑玉」　18頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「一般に、日本の社会は、そのリーダーに政治的な思想性や時代に対する先見性を求めない。求められるのは、ムラの利益のために、けっして「恥を外にさらす」ことなく、かいがいしく人々の「世話」をしてまわることだ。そして、原理原則や公平さなどとは無関係に、とにかく「もめごとを処理する」こと。この延長線上に日本の政治がある。」（43頁　辛淑玉氏による解説）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「差別したいとき、人々は、そのときの差別に都合のよい基準をもっともらしく設けて差別を繰り出す。」（70頁　辛淑玉氏による解説）&lt;br /&gt;
　「差別は、古い制度が残っているからあるのではない。その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない。」（168頁　辛淑玉氏による解説）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
●「京都府議会議員」（2頁）&lt;br /&gt;
　「京都府会議員」（71頁）&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
 　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

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<dc:date>2009-08-31T09:05:45+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/20081110-7746.html">
<title>戸田忠雄『公務員教師にダメ出しを！』筑摩書房、2008.11.10初版発行</title>
<link>http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/20081110-7746.html</link>
<description>　「学校教育法など教育三法が改正され、学校の自己評価性が法的に義務化されました。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/08/24/dsc08076.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Dsc08076&quot; title=&quot;Dsc08076&quot; src=&quot;http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/08/24/dsc08076.jpg&quot; width=&quot;200&quot; height=&quot;266&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;　「学校教育法など教育三法が改正され、学校の自己評価性が法的に義務化されました。それを活用して教員評価をするさい、それらの目安になるものが必要です。どういう基準で校長や教師を評価するのか。国民や保護者のみなさんに教員評価のモデルを提供したいという気持ちもありました。」（「おわりに」231頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　保護者・児童生徒による教員評価を行うべきだという主張及びその具体的なモデル（狛江市立第三中学校）を示すことが主眼であろう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　前半は、教員評価が必要性を訴えるためであろう、教育現場の実態（特に、教員や校長）が描かれており、この部分は面白い。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　筆者は、公立高校長や予備校校長などを歴任しており、研究者というわけではなさそうだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○論理が理解しにくかったところ&lt;br /&gt;
「市場の評価（学習者の評価）は、内閣府の調査のように、塾・予備校教師のほうが教え方が上手という人が七割で、残念ながら塾に軍配が上がっているも同然です。こうした指摘に対し、学校はただ勉強を教えるだけではなく人間を育てていると反論する人が必ずいます。それなら塾や予備校は人間以外の動物、例えばブタやウシを育てているのか？　という話になってしまいます。塾であれ、学力向上という目的のもとに人間を育てていることに違いはありません。」（44頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
素直に感心したところ。&lt;br /&gt;
○「「よい先生」については、学習者によって見方が分かれます。理想の先生像は、学ぶ側からみればさまざまでしょう。ちょうど、国民からさまざまな個性の政治家が選ばれるようなものです。学習者にとってそれぞれの「よい先生」がいて、それでよいのです。」（112-113頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
メモ書き&lt;br /&gt;
○「ダメな教師像の基本の三大類型は、サド系、セクハラ系、無能系です。」（114頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「現代はコンプライアンス（法令順守、規範遵守）を厳しく問われる時代です。児童生徒に順法精神を教えるべき教師の違法行為は、断じて赦されません。」（122-123頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「学力不足の教師は、ネズミを捕らないネコと同じです。」（129頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「この種の教育実習に、小学校教育の欠陥が集中的に現れているような気がします。専科主義ではないので、教科内容の理解を深めるより教師としてのふるまい方と児童への接し方に特化することによって、教育実践の専門家として他の学問領域と差別化したいという意図がありありと見えます。&lt;br /&gt;
　　この考え方の延長線上で、教育実践と称する実習を大幅に取り入れた教職大学院という新たな制度がスタートしています。これでは基本的に教師の学力向上はのぞめないような気がします。もちろん、すべての教育実習がこんなふうに行われるわけではありません。主として中高校免許の教育実習は母校で行うケースが多く、多くは授業内容の充実が主眼となっていると思います。授業技術や心構えを重視するやり方は、小学校免許取得の教員養成系に特徴的なもののようです。」（134頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「齋藤孝氏は、勉強が好きで得意だから難関大学に入ったような学生が小学校の教員になれず、「勉強が苦手だったと思われる人が小学校教員になっているケースが、意外なほど多いのだ」から「極端に言えば、実際に採用するかは別として、東大や京大を出た学生にはフリーパスで小学校教員の資格を与えてしまってもいいと思っている。彼らは子どもの頃から勉強が得意で、勉強のコツを知っている」（『週刊ダイヤモンド』二〇〇五年四月九日号）と指摘しています。」（135頁）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
○「つまり、管理職の主たる仕事は教師集団を通じて児童生徒を管理することです。子どもを教育することと教師を管理することは、まったく次元の違う事柄なのです。だから、教師として優秀だからといって、必ずしも教頭、校長など管理者として優秀であるとはかぎらないのです。」（152頁）&lt;br /&gt;
　「しかし、教師は子どもと違って主体性のある個人です。簡単に管理職の言うことを聞きません。また、つねに児童生徒たちに言うことを聞かせてきた大人たちです。言うことを聞かせたり自分に従わせる経験は豊富ですが、他人の言うことを聞いたり他人に従うことなど不得意なのです。同様に他人に命令することはあっても、命令されることなど大の苦手です。」（153頁）&lt;br /&gt;
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○（会社では）「組織で仕事をする以上、否応なしに上司とのつき合いを学ぶことになります。いや、学ばざるをえません。他人に管理され、また他人を管理する難しさを身につけます。働くということは、つまりそういうことなのです。管理される者の苦労がわからない者に管理はできないし、また、管理するほうも苦労します。」（152-153頁）&lt;br /&gt;
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○「むしろ、塾や家庭教師や予備校と比べて、学力指導では学習者の信頼を失ったせいか、学校は人間を育てるところと勝手に位置づけ、「人間教育」という理念にむやみに傾斜しているようです。」（180頁）&lt;br /&gt;
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