高田里惠子(2008)『学歴・階級・軍隊』中公新書(2008.7.25初版発行)
「一九二〇年代前半生まれの学徒兵たち」(290頁)すなわち「軍隊と旧制高校の両方を体験した男性たちの、その両方をめぐる言説を考察の対象」(288頁)とし、「世代」「学歴エリートたちの孤立」「異質なものとの接触」をキーワードとして「世代と階級を巡る問題」を深く深く掘り下げて扱っている。
「本書では、かつてたしかに日本に存在したこうした残酷な格差、そして高学歴兵士たちの偏見、土居の言葉を使えば「ゆがんだ表現」をむしろ浮き彫りにすることを目指していくつもりである。」(47頁)ということだ。
いくつか指摘を抜粋してみる。
「「官立学校流の自由主義教育」を受けた者が、自分は正義と公平を希求していると信じていても、「民衆」にとっては、旧制高校や帝国大学はエゴイストたちの巣に見えていたのである。」(68頁)
「「インテリは兵隊に向かない」は、日本人には納得できてしまうが、欧米ではそうではない。よく知られているように、第一次大戦の開戦はヨーロッパにおいて熱狂的に歓迎されあた。とりわけ、どの国でも若い学生たちが続々と志願兵となり、そして戦死する。モードリス・エクスタインズによれば、独英仏すべての国において、死傷者の割合は自由な知的職業出身者が圧倒的に高かったという(『春の祭典』)。第一次大戦は、ブルジョア高学歴男性が勇士のイメージを獲得した戦争であった。」(180頁)
「本書の関心の一つが日本の大衆社会化に向けられている」(193頁)
「大衆化・平準化は戦争によって加速され、戦後の社会へとつながっていった。その動きを、高学歴兵士たちは、文字通り生身で体験したのである。(中略)帝国陸軍という平等あるいは不平等社会とのかかわりのなかで、彼らの正の面と負の面とがともにあぶりだされてしまったのだった。」(193頁)
「本書がいままで見てきたのは、帝国陸軍および庶民兵士たちが、日本の高学歴者なんかにノーブレス・オブリージュの気持ちはないと見なしてきたことだった、いや、その冷たい視線に、高学歴兵士たちははじめて気づいたのだった。」(200頁)
「よく考えてみると、ノーブレス・オブリージュの在否は、むしろ承認する側、つまり大衆のほうにかかっているのである。」(200頁)
「しかし、先取りして言っておくと、大衆の動向などには一切お構いなしだったところに、旧制高校の旧制高校たる所以があった。」(200頁)
なお、著者は「1958年(昭和33年)、神奈川県生まれ、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(ドイツ文学専攻)単位取得満期退学、現在、桃山学院大学経営学部教授」(奥付の著者紹介による)とのことである。
メモ書き。
○「余談ながら、戦時中にていだい医学部の附属として作られた医専は戦後その処遇に困り、廃止されたり附属看護学校になったりしたが、そこの出身者(たとえば大阪帝国大学医学部附属医専出身の手塚治虫)がのちのちまでも露骨な差別にさらされたとはよく耳にする話である。」(14頁)
○「しかし、平等だ、公平だ、などと宣言される場所でこそ、それがいかに不平等・不公平であるかが目立っていく場合もある。」(17頁)
○「「今の若い者」ときたら、といった年少者への嘆きやレッテル貼りは、つい「世の良識ある大人達」がやってしまうことなのである。むしろ興味深いのは、昔から若者バッシングにいそしむオジサンもいれば、武野藤介のように若者の身になって考えてくれる年長者も必ず出てくることである。もちろん、若者が本当に警戒しなくてはならないのは、ナチス党が若者礼賛をふりまいたように、無闇に誉められたり、理解されたりするときなのだが。」(36頁)
○「師範学校卒は中学校卒業と見なされていたので最初は予備学生に応募できなかったのだが、制度変更によって一九四三年三月の卒業生からは専門学校卒業の資格が与えられるようになった(前年度卒業生にも救済措置)。この師範学校の昇格と、海軍があわてて予備学生を、とりわけ飛行専修を大量に採りはじめた時期とが重なり、最も多くの特攻隊戦死者を出した第十三期飛行予備学生(一九四三年十月入隊)から、師範学校出身者が登場することになったのである。」(54-55頁)
○「井上和義は、「旧制高校的な教養主義が右傾培養器としても機能し、かつての左傾学生と比べても遜色ない規模の学生が国家主義団体に結集した」ことに注意を促している。」(159頁)
○「すでに『文藝春秋』の一九三七年五月号に掲載されていたように、一九三〇年代後半には、大学生たちの学力低下・教養崩壊・モラルハザードが大いに議論されたのである。」(177頁)
●「せていただく」:「映画『きけ、わだつみの声』の鶴田上等兵は、新しい大隊長に「お腰をもませて戴きたくあります」とさっそく申しでるが、(中略)何々させていただく、という過剰な敬語の濫用が最近では批判されているようだが、これは軍隊のなかで要領よくかわいがられるためには、なかなか大切な言い回しだったらしい。」(102頁)
●「某々」:「「某大新聞社の出版部や某々大雑誌社の出版部から(中略)」(土屋喬雄「『太田伍長の陣中手記』出版の経緯」)」(181頁)
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