定延利之(2008)『煩悩の文法―体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』ちくま新書(2008.7.10初版発行)
副題が饒舌。しかし的を射ており、嘘偽りがない。
日本語の文法の問題を、とても分かりやすく親しみやすく、やや饒舌気味に扱っている。
体験を語る場合は単に知識を語る場合と異なった文法(言葉のきまり)があるんだということを、
「四色ボールペン、北京でありましたよ。」(30頁)という文がなぜ不自然でないかということから始まり、そこにある文法をまさに「探索」しながら発見していく筋道を、まさに筆者の体験として語っている。
つまり、「あとがき」にあるように「文法の世界を探索し、体感する楽しみ」(198頁)を実践している本である。
「煩悩」というのは、
「自分の体験を他人に語りたい」「体験談をやりたくてやりたくてしかたない」(19頁)という普通の人の気持ちのことである。
そして、その「煩悩」に基づく「体験談」を語るために、「知識の文法」とは別の「体験の文法」(「ワクワク型の体験」=「探索」、「ヒリヒリ型の体験」=「体感」)があり、
場所の「で」、「しょっちゅう」などの頻度語、「ばかり」、「たら」条件文、過去の「た」
などの言い方で、二つの文法で違いがあるということを、分かりやすい例文や説明で示している。
で、「探索と体感はなぜ、私たちの文法に、こんなにも関わっているのか」ということだが、
「私たちが日々生きていく上で不可欠な「認知」という行動において、「環境とのインタラクション」が重要な位地を占めているからである。探索も体感も、このインタラクションの一タイプだからである」(171頁)というのようだ。
○「反実仮想の「た」は過去を意味しており、この運命の分岐点が過去であることを表している。」(106頁)
◎「テレビ的」な言葉の取り上げ方
「もう一年以上前のことになるが、私はあるテレビ番組から出演の相談を受けた。(中略)別れ際に、「先生はテレビ的じゃないです」と、ダメ出しされてしまった(中略)
私のどこがテレビ的でないのか。スタッフの言い分はこうである。
ここに二つの言い方があるとする。
同じような意味でどちらもよく使われているが、正しいのはどちらの言い方だろう?
スタジオに集まったタレントがあれこれと意見を言い合う。だが結論は出ない。
そこへ、ことばの専門家・定延が登場する。
「先生、正しいのはどっちです?」
定延が答えて言う。
「どちらの言い方もよく使われていますね。ということは、どちらもそれなりに自然で、正しいということです」
これぐらい、テレビの視聴者を不安にさせることはない、とスタッフは言う。
テレビに出てくる「ことばの先生」は、
「正しい言い方は、これです。そっちはダメです。皆さん、間違えないように注意しましょう」
と言うものである。専門家がそう言ってくれて初めて視聴者は、
「ああ、そうおなのか」と納得し、安心するのである。
だというのに、おまえの話は、ことごとく、その逆をついているではないか。
(中略)
せめて、「最近は日本語の乱れが著しい。これも日本語の乱れの一つですね」ぐらいのことは言って、「日本語の乱れ」論あたりで調子を合わせてほしいのに、おまえは逆に、古い文章にも同じような例があることを持ち出してくる。
(中略)
これぐらい視聴者を不安にさせる話はないではないか。」(19-23頁)
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