春日武彦(2008)『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』光文社新書(2008.2.20初版発行)
そうかと思って読んだか、そうでもないことが分かった。
著者は、精神科医で、東京未来大学(こども心理学部)の教授。
精神科医の立場から、「躁病」「軽躁状態」にまつわる様々な話を取り上げている。
「躁」を構成する三大要素(全能感、衝動性、自滅指向)
「躁」の作家や有名人の「奇行」
「躁」が関係すると思われる犯罪・事件
「暴走老人」たちの異常な行動と躁的心性との関連
医学的な「躁」の診断
などなど
エッセイのような、あるいは、一般向けに「躁」への理解を深めてもらおうとする啓蒙書のような、何となく位置づけ、特徴がつかみにくい本だと思いながら読み進めていった。
取り上げているエピソードは個々には興味深いものであるが、全体として、この本で何を言おうとしているのか、つかみにくかった。
確かに、「躁」に関する理解は深まったが……。
もしかして、この人は、そうなのか? とか冗談で突っ込みを入れたくなりながら、読み進めていった。
そうしたら、「いささか長過ぎる「あとがき」」に次のように書かれてあった。
「わたしが本書を著すに至った動機のうちでも大きなもののひとつとして、「俺は近いうちに躁状態を呈して自分の人生を陳腐な喜劇へ貶めてしまうのではないか、いやもうとっくにそうなっているのに自分で分かっていないだけなのではないか」という切実な不安があった。本を書くことでそれを押さえ込みたいといった気持ちがあった。しかし残念なことにマジナイの作用は生じなかった。ただし、せめて躁の実際について啓発を図ることで、わたし自身の醜態について先回りして釈明をする役には立ったのかもしれない。」(194頁)
本当だろうか? 謙遜だろうか?
やっぱり、そうだったのか?
ところで、「躁」の診断項目の一つとして「多弁である」(167頁)ことが挙げられている。
本書もそんな感じがするし、このブログもそんな感じがある。
メモ書き。
○「近頃の若者はどうか。非生産的なまま親に寄生したり、学歴も才覚も努力の痕跡もなかろうと、往々にして彼らは全能感を抱いている。なぜそのような「あつかましい」芸当が可能なのか。現在の自分が、本来の自分ではないと思い定めているからである。」(23-24頁)
○「うつ病となる人たちの多くは、「~ねばならない」といった紋切り型の価値観に縛られている。」(41頁)
○「精神科医としての個人的な印象としては、老年期にさしかかった途端にいきなり異様な精神状態を呈してしまう人が増えている。(中略)どうも二つのタイプが目立つ。
第一は、ある特定の妄想にとらわれてしまい、だがその妄想を除けば他の能力は温存され、したがって認知症とか統合失調症とは考えにくいタイプである(男性に多い)。」(44頁)
「で、第二は、躁状態である。」(46頁)
○「うつがどんどん深まり、ついに「うつ」の底が抜けるとどうなるか。躁へと突入する。つまり躁は「うつ」よりもはるかにシリアスな病状を示している。」(84頁)
○「早い話が、精神科的に問題があり治療を要するものの、具体的な病名を書くと診断書の提出先が誤解や偏見に基づいた処遇決定をしかねないため、予防手段としての「あいまいな」病名がすなわち「自律神経失調症」なのである。」(123頁)
○「ほとんどの精神科医が指摘する事実として、近年における精神疾患の軽症化と拡散が挙げられる。昔に比べて、典型的というか「いかにも」な精神症状がなかなか観察されなくなた。それは精神医療の敷居が低くなって早期に受診する人が増えたといった話だけでは説明がつかない。総じて軽くあいまいな病像を呈しがちで、それは診断を困難とし、事実上の誤った治療を招きやすい。」(123?頁)
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